おしゃれなポーチよりジップロック

筆者が旅行に行く時の荷物はというと、特に珍しいものはないが、スーツケースの中の荷物をひたすらジップロックに小分けしている。

 

ジップロックは1箱で何枚も入っており、それでいて数百円だ。

 

そのままカバンやスーツケースに入れたら邪魔で仕方ない充電ケーブルやイヤホンだって、ジップロックに入れさえすれば他のものを取り出したいときに紐がぞろぞろ絡まって出てくる事故を防げる。

 

服はサイズが大きいのでジップロックには入れられないとして、靴下や下着も綺麗に並べてジップロックに入れれば探しやすいし、日焼け止めやスキンケアグッズが万一液漏れをしても、ジップロックに入れておけば他のものには被害が及ばない。

 

ちゃんとした化粧ポーチなら汚れてしまえば落ち込むが、ジップロックなら汚れたところで気兼ねなく捨てられる。

 

薄くて軽い、撥水性もある。なんといっても中身になにが入っているのかすぐわかるのがいい。

 

旅先で、ちょっとしたゴミが出たけど捨てるところがない時は、使用済みのジップロックをゴミ袋の代わりにできる。

 

予備のジップロックも2、3枚入れておく。

 

まだ乾き切っていない歯ブラシをすぐにスーツケースにしまって出かけないといけないとか、別に分けておきたい汚れたものを入れたり。

 

あるいは旅先で買ったものをなるべく清潔な状態でしまいたいとき(仕分けしているとはいえ、スーツケースには汗を吸った服なんかが一緒に入れてあるのだ)余分に持ってきたジップロックはわりに重宝する。

 

 

たまに神社めぐりをするときに、カバンの中から何度も長財布を出し入れするのが面倒なので、胸ポケットに入るくらいのコインケースをお賽銭用として買おうかと悩んでいたが、これだってちいさめのジップロックに硬貨を入れればじゅうぶんだと気がついた。

 

 

…もう書き終わろうかというタイミングで衣類さえ収納できる「特大サイズのジップロック」がこの世に存在することを知った。

 

リュック一つで旅ができるなどと粋がる時代はもう終わった。

ジップロックさえあれば旅ができる。

 

 

 

断捨離の腕が鈍る

お題「断捨離」

 

クローゼットが狭いので、古くなった服をいつまでも置いておくことができない。

それに、カビが発生しやすい家でもあるので、しばらく使わないで同じ場所に置いたままのモノを久しぶりに動かすと、カビが生えていてぞっとすることになる。

 

筆者にとり定期的にいらないものを処分することは、清潔で健康的な生活のためにも必須なのだ。

 

Tシャツや寝巻きといった柔らかい生地の服なら、適当なサイズに切って雑巾がわりに使えるので処分に困ることはない。

 

今年もそうやって時々、古くなったTシャツなどを処理した記憶がある。

 

 

すこし前に「くすみカラー」の服が自分にはどうも似合っていないなと気がつき、スカートやワンピースを合計4点ゴミ袋に入れた。

 

勢いがついて他の服も続々ゴミ袋に入れる。シーズンオフの服は処分の対象になりがちだ。

 

ゴミ袋が8割ほど埋まったころ、冷静になってクローゼットを見ると、これで寒い冬を乗り越えられるのかと心配になる程服が少ない。

 

その上、色が偏っている。黒、紺、青、水色。

夏に見たなら綺麗なグラデーションと感じられるかも知れないが、今は冬。

あまりにも寒々しいクローゼットにおびえてしまって、ゴミ袋に入れたヨレた赤いシャツや、あまり気に入っていないはずだったピンクのワンピースをそっともとに戻してしまった。

 

阿佐ヶ谷姉妹の のほほん二人暮らし【昨日読んだ本】

本についていた帯によると15万部突破なのだそうで、出版不況と伝え聞く昨今では大ベストセラーの域なのかもしれない。

 

本の最後では、同じアパートの空き部屋にお姉さんが引っ越すことになる阿佐ヶ谷姉妹の、まだ六畳一間に二人暮らししていた頃からスタートしたエッセイで、姉と妹が1回ずつ交互に書いている。

 

このエッセイは、阿佐ヶ谷姉妹の仕事が増えてきた過渡期的な時期にウェブ上に連載されていたもの。

そのためか、タレントエッセイでよく見られる「大物芸能人と食事したエピソードがさらりと出てくる」なんてことはなく、阿佐ヶ谷のご近所さんとの人情味あふれた交流が出てくるほかは、姉妹でのやりとりがメインで書かれている。

 

姉妹それぞれが書いたオリジナル小説も掲載されている。

自分を主役にした妹・美穂さんの作品の、まるでエッセイかと思うほど自然体な仕上がり具合も、姉・江里子さんのいつ取材したのかと聞きたくなる、有馬温泉ではたらく中年男女のちいさな恋を描いた、温度や匂いまでつたわってくるようなリアリティあふれる作品も見事である。

 

2023年ベストおむすび

ステーキより牛丼、幕内弁当より助六弁当、「より米の多いほう」を選んでしまう筆者が、今年2023年、外出時に食べたものをよくよく思い返すと「おむすび」のイメージが強い。

 

そういうわけで、筆者の2023年ベストおむすびトップ3を並べてみた。

 

1 ポーたま

国内に数店舗と、ホノルルにも店舗を構えている。

 

ベストおむすびと銘打っておいて、この店は「おにぎらず」の専門店だが、はじめてこの店でおにぎらずを食べた時の「炊き立てだとしてもここまで激熱のごはんは生まれて初めて食べた」という衝撃が忘れられない。

 

2 糸島おにぎり ふちがみ

JR博多駅構内という非常に買い物しやすい立地もあり、筆者にとっては博多でいちばん利用しているお店かもしれない。

 

糸島天領米をつかった「少し変わった(公式ウェブサイトより)」おにぎりを揃えている。

お弁当やうなぎの太巻きもあるが、「玄米だけ」も売っており、お腹は空いたが食べたいものがまったく思いつかない、というときはここでその玄米だけを買って食べることもある。

 

3 むすび むさし

広島に数店舗ある、おむすびとお弁当のお店。

 

見ても食べてもごくふつうのおむすびのようだが、百貨店の高級路線のおむすび屋さんを無視してまでも「どうしてもむさしがいい」と思い詰めてしまう謎の魅力がある。

 

porktamago.com

o-fuchigami.com

www.musubi-musashi.co.jp

 

食べる物には困らない

筆者はいま、ある地方都市に住んでいる。

引っ越してくる前も地方都市に住んでいたのだが、おなじ地方都市といっても場所によって文化の違いがあるものだ。

 

いま住んでいるところは、なにしろよく食べ物をもらえる。

 

旬の時期には一体何本の巨大タケノコをもらっただろうか。スーパーでは見たことがないとんでもない大きさのものを「採れ過ぎた」といってぼんぼんもらった。

 

家庭菜園をしているお宅が少なくないので、大根や白菜といった定番野菜はもらいがちである。

だいたいみなさん「うちではもう食べきれない」と見切ったときにくれるので、「トウが立っている」ものが多いが、せっかくのいただきものなので食べられるところは食べる。

 

病院に行くと、他の患者さんが「いつもお世話になっているから」とナースさんにビニール袋いっぱいに入った大根などを渡しているところを時々見かけるが、先日また病院に行ったときには受付にピーマンが山のように積んであり、「あ、また差し入れもらったのか」と横目で見ていたら、ナースさんから「採れ過ぎたので好きなだけ持って帰ってください」といわれた。

 

遠慮なく好きなだけ持って帰った。

 

屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ【今年見た映画】

屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ

「治安の悪いエリアには近づかない」をモットーとする筆者が今年唯一見たホラー映画である。

 

1970年代のドイツ・ハンブルグに実在した、「歯のない年取った娼婦」ばかりを狙った連続殺人者フリッツ・ホンカを題材にした作品。

 

ホンカが逮捕された時、彼の住むぼろアパートの屋根裏部屋からは四人の被害者の遺体がみつかったという。

 

ホンカはアルコール依存症。また、交通事故の影響で外見が醜くなったことをコンプレックスにしていたという。

ネット上で閲覧できる本人の写真を見ると、斜視であることは特徴的だが醜いというほどでもないように思ったが、実際に女性にはまともに相手にされなかったそう。

(結婚していた時期はあるようだ)

 

行方不明になってもかえりみる人のいない、くたびれた娼婦たちばかり狙ったわけである。

 

狭く散らかったホンカの部屋には壁一面に切り抜きのポルノ写真がはりめぐらされ、少女の人形が何体か置かれている。死体の匂いをごまかすためのデオドラント剤が数本。 

 

行きつけのバーでなんとかナンパに成功した娼婦をこの部屋に連れ込み、暴力をふるいながらしばらく同棲したり、きょうだいを呼んでおもしろくもない会話を交わしながら食卓を囲んだり、異様だが地味で、いまにも壊れそうだが淡々とした日常がえがかれる。

 

ホンカは性的なものも含む虐待など、つらい環境で育ったらしい。また、交通事故による影響などもあるのかもしれない。

しかし、作中ではレイプと殺人を繰り返すホンカの異常性について、情状酌量の余地をあたえるそれらのエピソードはあえて排除されている。

 

 

事件発覚当時40代であったホンカを演じるのは、1996年生まれ、20代の俳優ヨナス・ダスラー。特殊メイクで顔を崩しての出演である。

 

ホンカが屋根裏部屋で娼婦を殺すシーンで見せる引き締まった美しい体つきや、肌艶の良さを見ると、顔が多少まずくてもその肉体美を見せつければいくらでもモテるんじゃないか、とどうしても思ってしまった。

 

写真引用元 https://www.imdb.com/name/nm7179786/



 

「ありがとう」の魔法だろうか

もともと肌の弱い筆者だが、今年の夏は今までにないほどの肌荒れを起こしていた。

顔からふくらはぎまで全身に湿疹が出てしまい、かゆい。

 

しかも理由もなく気分が落ち切っており、医者に行く気力すらわかなかった。

 

仕方なく、毎日欠かさず化粧水を塗るというせめてものケアをしていた。

 

当然というべきか、全く治らない。

 

家事などで荒れやすいイメージの指先には、意外にもまったく湿疹が出ないことに気がついてわずかに感心する一幕もあった。

 

 

もうすでに他界されているが、心についての著書をたくさん残されている小林正観さんというひとがいた。

 

学生時代から数多くの人生相談を受けて、的確なアドバイスを残しており、また、「ありがとうとたくさん言うことと、掃除でいいことが起こる」といった開運メソッドを提唱していた。

 

うろ覚えだが、筆者が聞いたことのある正観さんのエピソードにこんなものがある。

 

からだの不調を訴える相談者に、あなたの知っている限りのからだの部位の名前を呼びながら、そのひとつずつにありがとう、といいなさい。と正観さんはアドバイスしたという。

 

 

聞いたことはあったが、実践してみたことは一度もなかった。

 

一見うさんくさいが、こういうものも一種の瞑想だろう。Google社員が瞑想をとりいれる時代だ。試して恥ずかしいことはない。

 

 

そういうわけで、やってみることにした。やり方は、風呂上がりに全身に化粧水を塗るときに、上記のエピソードにならって、知っている限りのからだの部位の名前を呼んでありがとうというのだ。

 

顔ありがとう、鼻ありがとうとかできるだけこまかく言う。肌のケアだが、脳ありがとうとか肋骨ありがとうとか思いつくだけ言いながら化粧水を塗っていく。

 

 

正直言って期待していなかったのだが、とにかく毎日続けた。

 

何日たったころのことか、人間の肌の質感とは思えない、と自分でドン引きしていた胸部が、普通のかわいたカサブタになっていることに気がつき、次第にそれも消えてまともな肌になった。

 

転んだのか、殴られたのかと人からしつこく聞かれて困っていた目の周りの荒れは、やけに長引いたが最近やっとなくなった。

 

いつのまにか、以前悩まされたように毎日あらゆる時間かゆいということがなくなった。

たまに寝しなに痒くなる時はあるが、布団に血がつくほどかき殴ってしまうことはもうなくなり、なんとなく数分後におさまる(その最中にはつらいのは確かだが)

 

 

自分でも「なにかほかに要因があって治ったんじゃないか」「放っておいても自然と治るやつだったんじゃないか」などと疑う気持ちはあるのだが、もしやめた途端にぶり返したらつらいので、いまでも風呂上がりにありがとうありがとうと言いながら化粧水を塗りたくる日々である。